博陵の人。後漢末の「銅臭大臣」(=「汚職大臣」の意。買官によって三公の地位をあがなった)崔烈の子、崔鈞の弟。後に荊州に赴いて諸葛亮・徐庶・孟建・石韜らとともに学問を修めた。自らを「管仲(春秋時代の伝説的な斉国の名宰相)・楽毅(=戦国時代の伝説的な燕国の名将)」になぞらえて誰からも相手にされていなかった雌伏期の諸葛亮の力量を認めた数少ない人物の一人。ただ、同時に諸葛亮の欠点を批判することもあったようで、諸葛亮も素直にこの指摘を受け入れている。
※実は「州平」は字で、諱は不詳。ゲームでは便宜上「州平」を諱としている。 |