射 援 (シャ・エン) |
文 雄 |
(? 〜 ?)
後漢の名将・皇甫嵩の女婿 |
〈能力値〉
統率:69 武力:65 知力:71 政治:72
生年:167? 寿命:5 相性:80 性格:冷静 義理:7 野望:6
〈兵 法〉
保有兵法:突破・斉射・投石・鼓舞
得意兵法:騎兵・弩兵
〈武将列伝〉(プロフィール) 扶風郡の人。若くして名声が高く、太尉・皇甫嵩から高く評価されてその女婿となった。兄・射堅に従い蜀に入って劉璋に仕えたが、その後劉備が入蜀を果たすと広漢郡・蜀郡太守に抜擢された。丞相の諸葛亮からも高く評価され、丞相祭酒・従事中郎を拝命したが、在職中に死去した。 |
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習 (シュウ・テイ) |
文 祥 |
(? 〜 ?)
"白眉"を凌ぐ荊州士人の俊英 |
〈能力値〉
統率:21 武力:25 知力:80 政治:74
生年:176? 寿命:4 相性:73 性格:冷静 義理:7 野望:7
〈兵 法〉
保有兵法:造営・混乱・鼓舞
得意兵法:知識
〈武将列伝〉(プロフィール) 襄陽郡の人。劉備に随行して入蜀、各地の県令を経て広漢郡太守に抜擢された。洒脱で談論が巧みな人物で、その名声は龐統につぎ、"白眉"馬良を凌ぐものがあったという。子の習忠は尚書にまで昇進し、孫(忠の子)の習隆は歩兵校尉なった。また、妹は龐統の弟・龐林と結婚していたが曹操の荊州侵攻によって止む無く魏にとどまり、一人で娘を養育。後、龐林は夷陵の戦いに従軍したが黄権と共に魏に降伏。期せずして夫婦は再会している。 |
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諸葛京 (ショカツ・ケイ) |
行 宗 |
(? 〜 ?)
諸葛亮の遺風をつぐ名刺史 |
〈能力値〉
統率:41 武力:32 知力:79 政治:81
生年:247? 寿命:4 相性:75 性格:冷静 義理:11 野望:5
〈兵 法〉
保有兵法:造営・石兵・鼓舞・罠
得意兵法:知識・謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール) 蜀の名臣・諸葛亮の孫。諸葛瞻の子で、諸葛尚の弟にあたる。蜀滅亡後に河東に移住させられるが、元蜀将の羅憲の推薦を受けて県令を拝命。高い治績を挙げて、江州刺史にまで昇進した。 |
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宗 預 (ソウ・ヨ) |
徳 艶
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(? 〜 264)
孫権にも認められた対呉外交担当 |
〈能力値〉
統率:72 武力:65 知力:77 政治:81
生年:185? 寿命:7 相性:75 性格:剛胆 義理:8 野望:8
〈兵 法〉
保有兵法:奮戦・斉射・連射・心攻・罵声・鼓舞
得意兵法:歩兵・弩兵・謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール) 南陽郡安衆県の人。張飛に従軍して益州に入る。諸葛亮によって主簿・参軍右中郎将に抜擢される。諸葛亮没後、呉へ派遣されたが、剛胆な性格が孫権に評価されてケ芝・費禕らにつぐ敬意を受けた。その後、後将軍・征西大将軍に任じられ、永安駐屯軍の司令官を務めた。寥化とは同年配の友人で、ともに蜀滅亡まで生き残り、洛陽へ護送中に病死した(264年死亡)。 |
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