劉 靖 (リュウ・セイ) 不 詳 (? 〜 254)
北辺防備を確立した名太守
〈能力値〉
  統率:74 武力:56 知力:78 政治:87
   生年:188? 寿命:5  相性:32  性格:冷静  義理:8  野望:7
〈兵  法〉
  保有兵法:突破・斉射・投石・造営・鼓舞
  得意兵法:弩兵・攻城・知識・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
沛国相県の人。名刺史・劉馥の子。黄門侍郎・廬江太守などを歴任した後に河南尹(地方官 首都近辺の統治を管轄する要職)として治績を挙げ、父の遺風を守った。後に鎮北将軍・仮節都督河北諸軍事として北辺の防御を一任されると、不変の戦術として「防御策」を打ち出して要害の地に軍を展開させ、北辺の防御を確立させた。行政面でも大堤防・戻陵渠を修復して灌漑を施すなど治績を挙げた。254年死去。征北将軍・建成郷侯を追贈され、景侯と諡された。西晋朝崩壊後も荊州を堅守した晋将・劉弘はこの劉靖の次男。
劉 馥(リュウ・フク) 元 潁 (? 〜 208)
「孫権軍十万撃退」・陰の功労者
〈能力値〉
  統率:69 武力:49 知力:83 政治:89
   生年:160? 寿命:2  相性:32  性格:冷静  義理:9  野望:6
〈兵  法〉
  保有兵法:斉射・投石・造営・罠・心攻・鼓舞
  得意兵法:弩兵・攻城・知識・謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
沛国相県の人。袁紹と対峙する曹操によって、背後を脅かす孫策配下の将(雷緒・陳蘭ら賊徒)に備えるために揚州刺史に任命される。拝命と同時に単騎で空城の合肥にのりこんで揚州府を開き、瞬く間に雷緒らを手懐け、同州を安定させた。江北の要塞化を進めると共に学校を建て屯田を拡大した結果、数年の統治で教化が行き渡り、万以上の流民が徳を従って移住してきた。
 208年病没。その後、孫権が10万と号する大軍で合肥を包囲攻撃してきたが劉馥の施した防備が奏功して撃退に成功、死後も人々から慕われた。
劉 放(リュウ・ホウ) 子 棄 (? 〜 250)
魏朝の機密を預かる権臣
〈能力値〉
  統率:19 武力:8 知力:82 政治:71
   生年:174? 寿命:7  相性:21  性格:慎重  義理:4  野望:9
〈兵  法〉
  保有兵法:造営・教唆・混乱・罠・罵声
  得意兵法:知識・謀略
〈武将列伝〉(プロフィール)
涿郡の人。漁陽の王松に仕え、曹操に降伏するように勧めた。明帝が即位すると寵愛を受け、孫資とともに散騎常侍となって機密任務に携わるようになった。文章を書くのが巧みで呉蜀を離間するための偽手紙を書いたりもした。明帝が危篤になると曹宇を退けて曹爽を補佐役に任命するように具申した。主君に対して阿諛するところがあり、直言することは稀だったという。病没し、敬侯と諡された。250年没。
梁 習(リョウ・シュウ) 子 虞 (? 〜 230)
天下一の名刺史
〈能力値〉
  統率:51 武力:38 知力:78 政治:93
   生年:164? 寿命:5  相性:26  性格:冷静  義理:9  野望:6
〈兵  法〉
  保有兵法:突破・騎射・混乱・造営・心攻・鼓舞
  得意兵法:知識・謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
陳郡柘県の人。司空時代の曹操に抜擢されて各地の地方官を歴任して治績を挙げ、并州刺史に抜擢される。善政を敷き、南匈奴を慰撫して国境地帯を平穏にした。南匈奴が入朝してきたのもこの梁習の手腕に拠るところが大きく、天下一の名刺史と謳われた。晩年は中央に戻って大司農を拝命したが、20年に及ぶ刺史時代に蓄財をせず清貧を貫いていたことを明帝から賞賛されて、礼遇された。230年没。
涼 茂(リョウ・ボウ) 伯 方 (? 〜 ?)
気骨溢れる「曹丕四友」の一角
〈能力値〉
  統率:41 武力:29 知力:75 政治:82
   生年:177? 寿命:1  相性:25  性格:冷静  義理:10  野望:5
〈兵  法〉
  保有兵法:斉射・造営・鼓舞
  得意兵法:知識・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
山陽郡昌邑県の人。若い頃から学問好きで、議論の際は必ず典拠を示した。曹操に抜擢され、泰山太守となるとこれを慕って千家以上が移住してきた。楽浪太守の時、公孫度の脅迫に屈せず、朝廷に戻ってからは魏郡太守・甘陵国の相として治績を挙げ、曹丕の昇進に従って位階を上げ左軍師・尚書僕射・太子太傅となったが、曹丕が登極するまえに亡くなった。曹丕の「八友」の一人とされる。
令狐愚(レイコ・グ) 公 治 (? 〜 ?)
才を恃んだ叛将
〈能力値〉
  統率:41 武力:62 知力:75 政治:49
   生年:191? 寿命:4  相性:34  性格:猪突  義理:5  野望:11
〈兵  法〉
  保有兵法:突破・斉射・罵声
  得意兵法:騎兵・弩兵
〈武将列伝〉(プロフィール)
太原郡の人。弘農太守・虎賁中郎将を勤めた令狐邵の族子で、王淩(後漢司徒・王允の甥)の外甥。本名は浚。黄初年間(220〜226)に和戎護軍に任命されたが、烏丸校尉・田豫の僅かな過失を糾弾したことで文帝(曹丕)の不興を買って免職処分となる。その時の詔勅の文面が「愚」であったことから改名した。
後に曹爽が実権を握ると才能によって、長史・兗州刺史に抜擢される。叔父の王淩とともに豫州方面の軍事権を独占しており、249年に共謀して皇帝廃立(曹芳を廃位、楚王・曹彪を擁立)を画策したが、令狐愚は病死。計画自体も黄華らの密告によって露見。曹彪は死を賜り、それ以外の関係者は三族皆殺しにされた。
令狐邵(レイコ・ショウ) 孔 叔 (? 〜 223)
族子の叛意を見抜いた慧眼
〈能力値〉
  統率:69 武力:45 知力:76 政治:79
   生年:170? 寿命:3  相性:30  性格:冷静  義理:11  野望:6
〈兵  法〉
  保有兵法:突破・斉射・造営・鼓舞
  得意兵法:騎兵・知識・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
太原郡の人。叛将・令狐愚の族父。鄴に赴いたおり、袁紹が曹操に敗れて捕縛されたが、曹操と父親は面識があったため許され軍謀掾に任命される。後に各地の太守を歴任したが、清廉で思いやりのある統治を行って治績を挙げた。特に学問を奨励して、役人たちの中に学問を志すものがあれば楽詳の下へ遊学させたため任地の弘農は大変学問が盛んになった。黄初初年(220)になって羽林郎・虎賁中郎将を歴任したが死去した。223年没。生前から族子の令狐愚の叛乱を予見していたという。
盧 毓(ロ・イク) 子 家 (183 〜 257)
正義感強き盧植の忘れ形見
〈能力値〉
  統率:52 武力:43 知力:81 政治:83
   生年:183 寿命:6  相性:55  性格:冷静  義理:10  野望:4
〈兵  法〉
  保有兵法:奮戦・斉射・造営・鼓舞
  得意兵法:弩兵・知識・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
涿郡涿県の人。劉備の師・盧植の四男。父の死後、兄二人を亡くしたが、その家族をよく守った。学問・品行を讃えられ、五官中郎将時代の曹丕に抜擢されて各地の太守を歴任して善政を謳われた。常に正論を吐き、また正論を説く者を擁護したため主君に煙たがられることもあったが、後年には光禄勲・吏部尚書など中央の高官を歴任していることから、その実力・信頼感が窺える。257年没。成侯と諡された。子の盧欽・盧珽、孫の盧浮・盧皓・盧志らはいずれも清廉を謳われ高官に昇進した。
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