郭 廠 (カク・ショウ) 泰 中 (? 〜 ?)
名軍師・郭嘉の孫
〈能力値〉
  統率:25 武力:21 知力:72 政治:75
   生年:220? 寿命:3  相性:27  性格:冷静  義理:6  野望:5
〈兵  法〉
  保有兵法:造営・混乱
  得意兵法:謀略
 
〈武将列伝〉(プロフィール)
潁川郡の人。魏の名軍師・郭嘉の孫で、恐らくは郭奕の子。才能・見識があり、位は散騎常侍にまで昇った。
郭 鎮(カク・チン) 季 南 (? 〜 ?)
名称・郭淮の末弟
〈能力値〉
  統率:42 武力:45 知力:72 政治:78
   生年:196? 寿命:5  相性:20  性格:冷静  義理:6  野望:6
〈兵  法〉
  保有兵法:斉射・投石・罵声
  得意兵法:弩兵・謀略
〈武将列伝〉(プロフィール)
太原郡陽曲県の人。魏の西部戦線(対蜀戦線)で活躍した名将・郭淮の弟。郭配の弟で、郭奕(字は泰業、郭嘉の子とは別人)の父。謁者僕射(光禄勲府、取り次ぎ官のまとめ役)となった。息子の郭奕は高潔簡素で雅量があり、雍州刺史・尚書を歴任したとある。
郭 展(カク・テン) 泰 舒 (? 〜 ?)
名称・郭淮の孫
〈能力値〉
  統率:69 武力:64 知力:69 政治:76
   生年:221? 寿命:3  相性:20  性格:冷静  義理:8  野望:7
〈兵  法〉
  保有兵法:奮戦・衝車・鼓舞
  得意兵法:歩兵・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
太原郡陽曲県の人。魏の西部戦線(対蜀戦線)で活躍した名将・郭淮の孫。郭配の子で、郭豫の兄。器量と才幹を有し、いくつもの職を歴任して実績を残し、太僕の官で逝去した。
郭 配(カク・ハイ) 仲 南 (? 〜 ?)
名称・郭淮の次弟
〈能力値〉
  統率:65 武力:61 知力:71 政治:74
   生年:190? 寿命:5  相性:20  性格:冷静  義理:7  野望:7
〈兵  法〉
  保有兵法:奮戦・投石・鼓舞
  得意兵法:歩兵・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
太原郡陽曲県の人。魏の西部戦線(対蜀戦線)で活躍した名将・郭淮の次弟、郭鎮の兄。郭展・郭豫の父。高い名声があり、官位は城陽太守にまで登った。賈充・裴秀(ともに晉の大官)はこの郭配の女婿にあたる。
郭 豫(カク・ヨ) 泰 寧 (? 〜 ?)
名称・郭淮の孫
〈能力値〉
  統率:68 武力:51 知力:79 政治:70
   生年:223? 寿命:0  相性:20  性格:冷静  義理:7  野望:7
〈兵  法〉
  保有兵法:奮戦・罠破・混乱・鼓舞
  得意兵法:歩兵・謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
太原郡陽曲県の人。魏の西部戦線(対蜀戦線)で活躍した名将・郭淮の孫。郭配の子で、郭展の弟。若くして相国参軍となって名を知られたが、早世した。娘は王衍(晉の大官)に嫁いでいる。
夏侯栄(カコウ・エイ) 幼 権 (207 〜 219)
定軍山に散った若き俊才
〈能力値〉
  統率:49 武力:42 知力:81 政治:70
   生年:205※ 寿命:3  相性:24  性格:剛胆  義理:8  野望:6
〈兵  法〉
  保有兵法:騎射・投石・教唆・鼓舞
  得意兵法:弓騎・知識・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
魏の柱石・夏侯淵の五男。夏侯威の弟、夏侯恵・夏侯和の兄。幼い時から聡明で、七歳で文章を書き、一日で千字書物を読んで記憶力は抜群。曹丕から非常に高く評価されていたが、父と共に定軍山の戦いに従軍して、周囲が進めた戦場離脱を拒んで戦死した。
※夏侯栄の享年は13歳であり、その生年は本来207年である。ただ、弟の夏侯恵(デフォルト武将)の生年206年に設定されているため、兄弟順を優先してゲーム上の生年を便宜的に205年とした。
夏侯衡(カコウ・コウ) 伯 権 (? 〜 ?)
夏侯淵の跡取り息子
〈能力値〉
  統率:59 武力:62 知力:59 政治:68
   生年:200? 寿命:4  相性:26  性格:慎重  義理:7  野望:7
〈兵  法〉
  保有兵法:突破・騎射
  得意兵法:騎兵・弓騎
〈武将列伝〉(プロフィール)
魏の柱石・夏侯淵の長男。海陽哀侯(曹操の弟)の娘を娶り、特に寵愛された。父の死後、その爵位を継承し、安寧亭侯にまで昇進した。子の夏侯績が跡を継ぎ、虎賁中郎将になった。※夏侯衡の字は「不詳」。ただし、兄弟たちの字から類推して「伯権」とした。
夏侯儒(カコウ・ジュ) 俊 林 (? 〜 ?)
決戦を避けた夏侯尚の弟
〈能力値〉
  統率:68 武力:59 知力:75 政治:73
   生年:189? 寿命:5  相性:24  性格:慎重  義理:6  野望:7
〈兵  法〉
  保有兵法:奮戦・斉射・罠
  得意兵法:謀略
〈武将列伝〉(プロフィール)
夏侯淵の甥、夏侯尚の弟。曹彰の驍騎校尉を勤めた後、征南将軍となった。241年、呉将・朱然が樊城を包囲すると救援軍を率いて駆けつけるが、策を弄して朱然軍との決戦を避け、司馬懿の増援軍の到着を待ってこれを撤退させた。無勢の救援軍でよく攻囲軍を牽制したとの評価もあったが、決戦を避けた点から前線の軍から召し返され、太僕となった。
夏侯称(カコウ・ショウ) 叔 権 (? 〜 ?)
夏侯淵自慢の荒武者
〈能力値〉
  統率:73 武力:81 知力:57 政治:43
   生年:203? 寿命:0  相性:25  性格:猪突  義理:8  野望:8
〈兵  法〉
  保有兵法:突破・突進・騎射・走射
  得意兵法:騎兵・弓騎
〈武将列伝〉(プロフィール)
魏の柱石・夏侯淵の三男。幼い頃から戦争ごっこの大将をつとめ、統率力に富んでいた。父に兵書をすすめられるが、これを拒みひたすら武芸を磨き、騎射で虎を仕留めるなど優れた武勇の持ち主となった。ただ個人的武勇に優れていただけではなく、弁舌の士を寄せ付けないほど気迫に満ちた人物で当時の社交界では花形的存在だったらしい。曹丕とは年齢・身分を越えた友情で結ばれていたが、惜しくも18歳で死去した。
桓 階(カン・カイ) 伯 緒 (? 〜 ?)
亡き孫堅に手向けた義侠
〈能力値〉
  統率:34 武力:46 知力:83 政治:77
   生年:164? 寿命:4  相性:2  性格:冷静  義理:6  野望:8
〈兵  法〉
  保有兵法:蒙衝・投石・造営・混乱・罠・心攻
  得意兵法:知識・謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
長沙軍臨湘県の人。孫堅の推挙で孝廉となる。その恩を返すため、劉表と戦い戦死した孫堅の遺体を引き取る使者を買ってで、劉表に勇気を認められて役目を果たした。官渡の戦いのおり、袁紹に味方する劉表に対する反対工作に暗躍。曹操が荊州入りすると丞相掾主簿・趙郡太守に抜擢された。魏朝が成立すると虎賁中郎将・侍中に昇進。後に尚書に昇進して官吏選抜を担当した。後継者争いでは一貫して曹丕を支持し厚く信頼されたが、曹丕に先んじて病死。貞侯と諡された。子の桓嘉が後を襲い、弟の桓簒は散騎常侍となった。
魏 諷(ギ・フウ) 子 京 ( ? 〜 219)
「関羽の北伐」に呼応した煽動家
〈能力値〉
  統率: 9 武力: 8 知力:89 政治:51
   生年:181? 寿命:5  相性:45  性格:慎重  義理:1  野望:13
〈兵  法〉
  保有兵法:罠破・教唆・混乱・罠・心攻・罵声
  得意兵法:謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
沛国の人。天才的な扇動家で、才を買われて出仕して西曹掾となる。「関羽の北伐」(219)で混乱する帝都・鄴でこれに呼応して反乱を策謀するも、共謀者の陳禕が太子(曹丕)に自首したことから失敗、処刑される。王与・王焉(王粲の子)や張泉(張繍の子)、後に東部戦線で活躍する文欽など連座した者は数十人に及んだという。
牽 招 (ケン・ショウ) 子 経 (? 〜 ?)
田豫に亜ぐ北辺鎮撫の功労者
能力値〉
  統率:81 武力:77 知力:80 政治:72
   生年:175? 寿命:7  相性:45  性格:冷静  義理:9  野望:5
〈兵  法〉
  保有兵法:突破・突進・騎射・走射・飛射・混乱・心攻
  得意兵法:騎兵・弓騎・謀略
〈武将列伝〉(プロフィール)
安平郡観津県の人。兵乱の中、命がけで学友の遺体を奪回した。その棺を奪おうとする賊もこの義挙に感じ入って略奪を控えた。袁紹・袁尚に仕えたが、高幹に殺害されそうになって曹操に降ったが、袁尚の首が晒されるとその祭祀をとりおこなった。その後軍官を歴任して鮮卑や賊と戦いこれを平定、曹丕即位後も引き続いて北方に駐屯し、公孫集や鮮卑賊などを懐柔して降伏させた。また烏丸賊に対しては常に離間策をとって内部分裂を謀り、軻比能をはじめ侵入してくる蛮族を全て撃退した。諸葛亮の北伐に呼応する軻比能に包囲された田豫を救うなど功績をたて、田豫につぐ戦績・治績で辺境鎮撫の任を全うした。長子の牽嘉が跡を継いだ。次子の牽弘(デフォルト武将)も勇猛を謳われ、ケ艾に従軍して蜀討伐戦で活躍している
※田豫(デフォルト武将)よりも能力が高く設定してあるが、これはデフォルト田豫の能力値設定が低すぎるため
国 淵 (コク・エン) 子 尼 (? 〜 ?)
手柄を水増しせぬ清廉の官吏
〈能力値〉
  統率:49 武力:38 知力:83 政治:81
   生年:155? 寿命:4  相性:20  性格:冷静  義理:9  野望:6
〈兵  法〉
  保有兵法:斉射・投石・造営・混乱・鼓舞
  得意兵法:知識・謀略・策略
〈武将列伝〉(プロフィール)
楽安国蓋県の人。鄭玄(後漢の大儒学者)の愛弟子。遼東に逃れて戦乱を避けていたが、曹操によって抜擢されて司空掾となり屯田の管理運営にあたった。常に厳正な態度で直言したが、朝議の場を退席した後は個人的感情を残さなかった。曹操の関中征伐(211)時には居府長史として事務を統括し、その間おこった河間の反乱を鎮圧したが、手柄を水増しすることがなかった。曹操の政治に対する批判投書の犯人を割り出すなど、優れた推理力の持ち主。太僕にまで昇進したが粗衣粗食の生活を通し、在職中に亡くなった。
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