第三章 劉備、天下に人材を求める


【前章までのあらすじ】
 腐敗した後漢朝の苛斂誅求に反発して、ついに勃発した「黄巾の乱」。恩師・盧植の旧恩に報いるべく、官軍(何進軍)の一員として黄巾討伐に活躍した劉備とその義弟・関羽と張飛。しかし、盧植への忠節が報われることがないと悟った劉備たち三兄弟は悩んだ末、下野して何進軍を離れた。「放浪軍」として中国各地を放浪する劉備一行。鍛練を積みながらも、旅の途中に孫乾・黄忠・馬騰を加え徐々に陣容を厚くしていった。
 一方、中原各地で激戦を繰り広げる何進軍と黄巾賊。劣勢ながらも勢力を維持し続けていた黄巾賊だったが、指導者・張角が189年・春、ついに病没した。求心力を失って、張宝派・張梁派に分裂する黄巾賊。分裂を逃さず、占領地を広げる大将軍・何進。中原の覇者は何進と決した。何進の権力掌握をよしとしない劉備は荊北・襄陽でついに「旗揚」はたしたが・・・
189年 春
劉 備「とりあえず「旗揚」してみたが・・・ 最初のターンは何も指示が出せないんだよな」
関 羽「兄者、どうやら陳留方面に逸材が数知れず眠っているとか」
張 飛「大兄者、俺は平原にも多くの逸材が眠っていると聞きましたぞ」
孫 乾「殿、いずれにしても我が軍には「商業」を行えるものが少ないです。これを解消してください」
劉 備「雲長、漢升(黄忠)、寿成(馬騰)らはいずれも「開墾」を得意としておるぞ。不足なのか?」
孫 乾「はい。「開墾」にしろ内政には資金が必要になります。この資金を確保するにはどうしても
     「商業」を得意とする、政治の高い武将が必要になります。現状では・・・それがしと、少しムリを
     していただいて雲長殿の二名までです」
関 羽「それに、兄者には軍師と頼む人材がおりませんぞ。これでは戦略に支障を来します」
黄 忠「如何にも。また知将は戦場でも必須の存在。敵部隊の「混乱」「撹乱」が成功した場合、
     これを如何に迅速に回復するかに、戦の趨勢はかかってくる」
馬 騰「そやな、それに勢力の技術レベルを上げるにはどうしても知将に「技術」に従事してもらわな。
     技術レベルが低いまんまやと、「軽歩兵」「軽騎兵」「弩兵」しか使われへんしな。ほんま言うと
     わいは「重騎兵」使いたいけど、当座のところ「重歩兵」は仕えるようにしとかんとな」
劉 備「むぅ〜 課題山積みってところだな」

 配下一同の突き上げを喰らった劉備。中原諸州に人材スカウトの旅に出ることにした。
そこで、見つかること見つかること。 もう、雨後の筍、というレベルではない。
平原の崔琰・呂威璜・朱霊
陳留の夏侯惇夏侯淵楽進李典曹洪陳宮程c
許昌の陳羣成公英  ・・・しかし・・・

劉 備「なぜじゃ〜〜!! なぜ誰も登用に応じてくれんのだ!?」

見事に空振りに終わった。ここまで豪快に外しまくると、一種爽快感さえ覚える。


189年 夏
 中原からまたしても訃報が届いた。
劉 備「何、今上陛下が崩御されただと! それは確かか?」
関 羽「各方面から情報分析にあたっておりますが、諡も霊帝と決したとのこと。ほぼ確報かと」
張 飛「いいじゃねぇか、どうせろくでもねぇことしかしてなかったんだし」
劉 備「よさぬか、益徳」
関 羽「・・・しかし・・・今、この時期というのがひかかりますな」
黄 忠「と、申されると?」
劉 備「考えてみよ。黄巾の首魁・張角が没して、何進軍の勝利が確定的になったこの時期に
     陛下が崩御あそばした。次に即位するのは辮皇子・・・何進の甥、ということになる」
馬 騰「ま、まさか!? 何進の奴が陛下を手ぇにかけたて言わはるんか?」
孫 乾「もともと不摂生が祟って病弱と聞いていましたが・・・」
張 飛「大兄者の憶測、当たってるかも知れねぇ、ってことか」
劉 備「よし、真偽を探るため、再び中原へ参るぞ」
関 羽「兄者、人材確保も忘れんで下さい。この襄陽にも賢者がいるとか」
劉 備「真か?」

 関羽の情報通り、襄陽で伊籍を発見、登用した。
伊 籍「それがし、伊機伯と申す。仕官をお許し頂きたい」
孫 乾「おお、ようやくまともな文官が・・・ 伊殿、よろしく願いますぞ」

 幸先よく、伊籍を登用した劉備ご機嫌で中原に人材発掘&情報収集に向かう。
またしても湧いて出てくる有為の人材。やはり中原の人材層の厚さには驚嘆すべきものがある
許昌の郭嘉戯子才韓浩
下ヒの麋芳王朗曹豹
渤海の高幹高覧文醜顔良・呂曠・呂翔 ・・・しかし、誰も登用に応じてくれなかった・・・
やはり、襄陽一都市の劉備軍の先行きに不安を感じて、仕官に二の足を踏んでしまうのだろうか?
しかし、世の中には物好kいやいや、勤王の士もいると言うことである。

麋 竺「それがし、徐州でいささか商いを為している者で、姓は麋、名は竺と申す」
劉 備「麋竺・・・ 麋殿。しかし、何ゆえ弱小の我が軍に仕官なさる?」
麋 竺「私のような成り上がり者では朝廷での昇進は絶望的なのです。その点、新興の劉備軍は
     実力さえあれば昇進もかなうはず。商人の読みにござるよ」

そして、ようやく念願の軍師と巡り会う。
怜悧な容貌、理知的な語り口。何よりこの男は清流派に名高き潁川士人の若きエースだったのだ。

筍 ケ「筍ケ、字は文若と申す。劉将軍にお力添え致そう」
劉 備「自分で言うのも何だが・・・俺んところは貧乏だし、あんまり柄も良くないぞ」
筍 ケ「確かに将軍は元・筵売り。ただ、あの何進も大将軍と号していても元は肉屋の倅。
     党人を優遇しているとはいえ、人材を集めているだけで用いる器量には恵まれておりませぬ」
劉 備「確かにな」
筍 ケ「何、ご心配めさるな。もし将軍が仕えるに足らぬと見れば直ぐに去ります故」
劉 備「(それって、余計心配) それでは七品官待遇で我が軍師となってくれ。頼んだぞ」

    
189 秋  〜  同年 冬
 さっそく筍ケを軍師に任命。その後も劉備の人材探索の旅は続く。
襄陽の蒯越・蔡中
上党の穆順・高順・李粛
洛陽の司馬朗華歆・方悦
北海の太史慈・王脩・武安国
宛の紀霊・陳蘭・閻象・袁胤らを発見した。 ・・・しかし・・・

劉 備「俺に何か恨みでもありますか、お前ら?」←結局全員の登用に失敗した
関 羽「荒れてるなぁ〜、兄者。とりあえず徴兵いたしましたぞ。これで兵は24000です」
筍 ケ「蒯越は私の推挙を受けました。登用をお許し頂けますか?」
劉 備「無論。文若、ご苦労であった」

 確かに悪いことばかりではなかった。優秀な内政官を確保できたため、襄陽の都市収支は急激に向上していた。都市の余剰資金をせっせと「引出」たりする劉備。名目はあくまで

劉 備「降将どもに与えるアイテム購入用資金だ」

 という本人の弁であるが、これはいささか怪しい(笑)。
しかし、この劉備の所持金に釣られて再び、三度姿を現したのが謎の道士・左慈。
・・・金に釣られて現れるあたり、結構俗っぽい?
とにかく、左慈から「鬼謀」「神算」を伝授してもらえた。これで戦場での戦術の幅が広がる。

伊 籍「殿、決算前にあまり多額の資金を持ち出すのはお控え下され」
劉 備「どうしてそれを・・・!?」
孫 乾「(知らいでか)」
麋 竺「いや、市民から金1000の義援金が届いたほどですからなぁ(苦笑」

 内政三兄弟(勝手に命名)に咎められ、心を痛めた劉備。罪滅ぼしに「商業」をすることに。
しかし・・・

街 娘「この街は治安が悪くて不安なの」
張 飛「てんめぇ〜、俺の仕事にケチつけようってのか!」←治安担当
関 羽「いや、この襄陽の「治安」は98。全国でもトップクラスに治安の良い都市のハズだが」
劉 備「こやつ、何進の放った破壊工作員に違いない!

 ゲームシステム上、断ると「悪名」が上昇してしまうためしぶしぶ街娘の依頼を受けることに。
都市の「治安」が本当に低いときは納得できるが、この場合は本当に納得できないよなぁ〜

 
190年 春  〜  同年 冬
 何進軍の快進撃が止まらない。
まず西部戦線では武都・西平を占領。関西方面の中立都市はもう西涼一都市のみ、同地方統一に王手をかけた状態だ。中原でも相変わらず猛威をふるい、分裂した黄巾賊・張梁軍の最後の拠点、を圧倒的な戦力でねじ伏せて攻略、滅亡させている。張梁は何進に臣従したため、何進の勢いにはもはや手がつけられない。
 それに対する劉備軍は・・・

筍 ケ「殿、状況は芳しくありませんな」」
劉 備「嘆いていても始まらぬ。軍師殿、まず当方の兵力が40000を越えるまで時を稼げ」
張 飛「そうだ、中原からこの襄陽を攻めるルートは新野を策源とする一ルートだけだからな
     兵力がとりあえず4,50000程度あれば、俺が何とかしてみせるぜ」
筍 ケ「ふむ・・・ 妙案がござるぞ。その新野で何進軍を足止めすれば良い訳ですな」
劉 備「・・・なるほど、俺にも軍師殿の策が読めた!」
張 飛「へ、どうするんだ、大兄者?」
劉 備「新野に駐屯しておる何進軍は「内政重視」を命じられておる、そこを衝く
     戦略フェイズで計略「破壊」で、新野の「防御」を内政目標以下にとどめ続ければよいのだ。
     奴らは命じられた内政目標を達成せぬ限り、「内政重視」のまま。こちらには攻めてこぬ」
筍 ケ「ご名答」
関 羽「他にも、何進軍の進撃を遅滞させる策がござる。後方の太守たちを蜂起させるのです」
筍 ケ「・・・それは、何進軍を挑発することになりますからいささか危険を伴いますが・・・」
劉 備「いや、雲長の策を採る。何進軍の兵力が最前線の新野にだけ集中されるという状況だけは
     なんとしても避けたいからな。軍師殿、調略にあたる人員を手配してくれ」
筍 ケ「御意」

 早速、軍師・筍ケの指導の下、調略にかかる劉備軍一同。やはりさすがは一流軍師。助言的中率が全然違う。遼東太守・張勲、西平太守・胡車児にそれぞれ「内通」を仕掛けた上でこれを「登用」。都市ごと劉備軍に引き入れた。何進はすぐさま討伐隊を編成。西平太守・胡車児は討伐隊の前にあっけなく捕虜となって、斬首された。が、遼東太守・張勲は一度は討伐隊を撃退するなど意外な健闘を見せた。これにより、劉備軍は目論み通り何進軍の進撃を遅滞させ、貴重な時間を稼ぎ出したのである。
 また、これに飽きたらず新野に駐屯している何進軍の武将たち、孫堅孫策父子、程普にも「離間」を仕掛けてゆさぶりをかける。知力の低い武将たちには「埋伏」を仕掛けるなど余念がない。
 もちろん、この間も劉備は人材発掘に奔走していた。
陳留の典韋曹休
呉の厳白虎・厳輿・許貢・凌操
襄陽の韓嵩・王威
西涼の辺章・宋揚・藏洪
西平の梁興・成宜
北平の関靖・厳綱・韓当
天水の華雄 を発見。うち、韓嵩・王威・関靖の登用に成功している。
しかし、一番大きかったのはこの男の加入だったかも知れない。

馬 騰「殿、これがウチの倅やで」
馬 超「親父やめてくれよ、その方言丸出しのしゃべり方! 俺恥ずかしくって・・・」
劉 備「君が孟起君か。なかなかの若武者振りだな、「錦の馬超」とはよくいったものだ」
馬 超「はい、武芸の腕には自信があります」
関 羽「しかし、挙兵以来兄者に付き従ってきた俺でさえ未だに六品官だというのに・・・
     どうしてこんな年端もいかぬ子供風情が、いきなり五品官になっておるのか不思議でならん」
劉 備「雲長、そうかりかりするな。お前には「奇襲」を伝授してやったろう?」

 これも実は問題点のような気がする。
馬超・曹丕・公孫続など、御曹司武将は何故か父親が君主でなくてもいきなり五品官からのスタートになる。配下武将の子供として登場した場合、通常父親の官位(馬騰はこの時七品官)を越えることがないのだが・・・明らかにバグであろうが、コーエーに問い合わせても「仕様」と返答されそう。
 他、献上された「博山炉」を売却するなどして貯めた所持金で、「史記」を購入。条件を満たしたため特技「治略」を習得。「金耳墜」「琴」「羅綺香嚢」を花嫁にプレゼントし、「七星宝刀」を贈られる。これまた条件を満たしたため「猛者」習得。
 あと、ひっそりと秣陵で厳白虎が放浪軍を結成してたりするが・・・これは無視して良いだろう。


191年 春
 武将が増加してきたため、孫乾・馬超・黄忠・蒯越・王威らで江陵を占拠。
他、かねがね調略してきた新野駐屯の敵将・孫策の「登用」を劉備自らが成功させた。

劉 備「君が伯符君か。父上によく似ておるな」
孫 策「劉将軍、話は後です。新野から侵攻があります」
劉 備「何、それは真か?」
孫 策「間違いございません、業を煮やした何進が都市方針を「戦争重視」に切り替えたのです」
劉 備「兵力は?」
関 羽「70000程度との報告を受けております」
張 飛「こっちは44000、いつでも出陣可能だぜ」
劉 備「何進軍の総大将は・・・恐らくお父上ということになろう。孫君はここで休んで・・・」
孫 策「いえ、私も戦います。出撃の許可を!」

 「何進軍、襄陽に侵攻」
ついに大陸随一の大勢力・何進軍との戦端が開かれた。
名将・孫堅率いる敵軍に果たして勝利できるのか?
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登場武将紹介&ゲーム用語解説
軽歩兵(用語)
 歩兵系兵科の一つ。攻撃力・防御力には全く見るべきものがないが、機動性に優れ編成に全く資金を要さない。勢力の技術レベルがどんなに低くても、この「軽歩兵」は編成可能。
軽騎兵(用語)
 騎兵系兵科の一つ。攻撃力はそこそこだが、防御力はやや心許ない。機動性に優れ全兵科中最も行動順が早いが、編成にはそれなりの資金を要する。勢力の技術レベルがどんなに低くても、この「軽騎兵」は編成可能。
弩兵(用語)
 弩兵系兵科の一つ。隣接しない敵部隊を遠距離攻撃できるが、攻撃力・防御力は恐ろしく低い。戦場での単独行動は禁物で、必ず歩兵・騎兵の護衛部隊が必要になる。・・・が、COMは兵力に劣るとこの弩兵部隊を多めに編成する傾向にあり、ますます勝機が遠のく。敵の太守がしてくる分には問題ないが、配下プレイ時に自分の上司がやってくれると殺意を覚えることさえある。編成に資金・技術レベルを要さないのは前出の軽歩兵・軽騎兵に同じ。
重歩兵(用語)
 歩兵系兵科の一つ(技術レベル2)。攻撃力はそこそこだが、軽歩兵に比べて50%増しの防御修正を誇り防衛戦で力を発揮する。編成資金が非常に安価なのも魅力。が、行動順は遅い。また機動力は恐ろしく低く、山間部などで悪天候に遭うとほとんど前進できなくなる。
重騎兵(用語)
 騎兵系兵科の一つ(技術レベル3)。攻撃力・防御力とも軽騎兵を上回る。が、騎兵系兵科の長所である機動性・行動順の早さが失われている。また、編成資金も結構かさむ。最上級兵科の山岳騎と比べると防御以外は平凡。山岳騎が編成できるなら編成する必要はないだろう。
商業(用語)
 内政行動の一つ。都市の金銭収入を向上させる。政治が高く、特技「商才」をもつ武将が行えば効果が大きい。内政するにしろ、戦争するにしろ、人材を引き抜くにしろ、資金が絶対に必要になる。孫乾の言うように、最も優先したい内政項目といえる。
崔琰(?〜216)
武力48 知力70 政治87 魅力72  
 特技 「商才」「弁舌」「反計」  
 戦法 「落石・弐」「烈火・弐」
 字は季珪。袁紹の幕僚。しかし、袁紹が進言を聞かずに曹操に敗れたため降伏。持ち前の公正さを評価され尚書となり、人事を掌握。曹丕の立太子に貢献するなど活躍した。最後は不遜の行いがあったとして曹操に処断された。非常に容姿・声音が美しかったと伝えられている。
朱霊(?〜?)
武力71 知力50 政治52 魅力53  
 特技 「反計」「歩兵」  
 戦法 「乱撃・弐」「火矢・弐」「乱射・参」
 字は文博。袁紹の部将。官渡の戦い以前から、曹操を真の名君と見込んで曹操に帰属する。が、何故か曹操には疎んじられていたようで、軍権を取り上げられ于禁配下の一将されてしまう。曹丕が即位すると軍功を重ねて後将軍にまで昇進、魏の五将軍(張遼・徐晃ら)に次ぐ評価を与えられている。
夏侯惇(?〜220)
武力92 知力63 政治68 魅力84  
 特技 「威風」「警備」「挑発」「歩兵」「騎兵」  
 戦法 「突撃・五」「槍衾・四」「車懸・参」「斉射・弐」
 字は元譲。曹操挙兵以来の腹心中の腹心。師匠を侮辱した人間に復讐するなど激しい気性の持ち主。対呂布戦で左目を失明、「盲夏侯」の異名をとるようになる。演義では曹操軍きっての猛将として武勲を上げているが、正史では呂布配下の高順、新野時代の劉備に敗北するなど良いところ無し。ただ、曹操から絶大な信頼を寄せられているので無能であったとは考えにくい。長じてからは非常に謙虚な性格になり、蓄財を一切しなかった。「盲夏侯」と呼ばれるのをいやがったり、文人気質の曹丕の真似をしたりと案外繊細な人柄だったのかも知れない。
夏侯淵(?〜219)
武力92 知力51 政治56 魅力80  
 特技 「威風」「警備」「歩兵」「弩兵」  
 戦法 「乱撃・五」「奇襲・四」「火矢・参」「斉射・五」「乱射・参」「攻城・参」
 字は妙才。夏侯惇の従弟。曹操挙兵以来の腹心。演義の影響か、夏侯惇と対を為す武辺一辺倒の武将というイメージが先行している。正史では各地の太守を歴任したほか、官渡の戦いで兵糧確保にあたるなど細やかな気遣いが出来る。また、演義同様非常に勇猛な武将で、各地を転戦して連戦連勝。特にその行軍速度は群を抜いており、「典軍校尉の夏侯淵 三日で五百里、六日で千里」と謳われるように活発な機動戦術を得意としていた。涼州掃討に続いて、魏の西部戦線総指揮官として漢中に赴任、劉備の漢中攻略軍を迎え撃つが友軍の危機を救うために兵力を分散した隙を法正に衝かれ、黄忠に斬られた。
楽進(?〜?)
武力83 知力56 政治51 魅力70  
 特技 「耕作」「挑発」「騎兵」  
 戦法 「突撃・四」「乱撃・参」「攻城・極」
 字は文謙。魏の五将軍唯一、曹操軍生え抜きである。小柄だが非常に勇猛な武将で、対劉備・呂布・袁一族戦で活躍。赤壁後も、襄陽に留まって関羽を撃退するなど活躍しているが、どうも他の四将軍に比べると影が薄く、能力値も活躍の割にはイマイチ。演義では李典とコンビを組むことが多い。
李典(174〜209)
武力76 知力78 政治72 魅力62  
 特技 「耕作」「挑発」「騎兵」  
 戦法 「乱撃・四」「撹乱・参」「烈火・参」「落石・弐」「攻城・参」
 字は曼成。演義では曹操挙兵以来の武将。だが、正史では曹操に従った豪族・李乾の族子。李乾・李整が亡くなると李軍閥を継承。曹操に従軍して各地を転戦した。劉備の策を見破って夏侯惇に自重を促すなど、沈着冷静な武将。合肥の戦いでは個人的なわだかまりをもつ張遼を諭してこれと協力、呉の大軍を撃退するが惜しくも早世している。楽進同様、やや能力値が寂しい。
曹洪(?〜232)
武力82 知力49 政治44 魅力51  
 特技 「騎兵」「商才」  
 戦法 「突撃・参」「乱撃・弐」「斉射・参」
 字は子廉。曹操の族弟。曹操挙兵以来の腹心で、各地を転戦。官渡の戦いでも曹操が烏巣兵糧基地攻略の間、本営の留守を預かった。蓄財に余念がない吝嗇漢で、曹丕からの借財の申し込みを拒絶。後に曹丕が即位すると無実の罪で処刑されそうになった。曹叡が即位すると名誉を回復、驃騎将軍にまで昇進した。
陳宮(?〜198)
武力64 知力89 政治85 魅力72  
 特技 「築城」「警備」「反計」「虚報」「弩兵」  
 戦法 「撹乱・四」「奇襲・参」「火矢・四」「矢嵐・初」「烈火・参」「攻城・弐」
 字は公台。はじめは曹操に仕えるが、後に呂布の謀主に。再三、曹操を追いつめるが呂布が献策を用いないため最後は捕虜となってしまう。曹操は臣従を迫るが、これを拒否して刑死した。曹操は遺族を厚遇したという。ゲームでは「戦う軍師」としてはなかなかの強さをもつ。弩兵部隊を任せるより、騎兵・歩兵を割り振った方が強い。「撹乱」で敵部隊を沈黙させ、呂布麾下の猛将たちをサポートさせよう。
程c(141〜220)
武力20 知力92 政治89 魅力59  
 特技 「商才」「混乱」「虚報」「歩兵」  
 戦法 「撹乱・四」「奇襲・五」「槍衾・弐」「烈火・参」
 字は仲徳。剛直な人柄で協調性に欠けたが、曹操から厚く信頼された。「充足を知るものは恥辱を知らず」と赤壁後に引退、曹丕によって公に封ぜられる直前に80歳で病死した。筍ケとともに呂布の攻勢を凌ぎきるなど、なかなか戦の方も出来そうなイメージがあるが、ゲームでは武力が非常に低い。40くらいあっても罰は当たらないような・・・
陳羣(?〜235)
武力20 知力76 政治94 魅力77  
 特技 「商才」「発明」「反計」
 戦法 「撹乱・初」
 字は長文。潁川清流派の盟主の一人。一時は徐州時代の劉備に仕えたが献策が容れられず出奔、曹操に仕え御史中丞に昇進。肉刑を復活させようとした曹操を諫止したり、素行のおさまらない郭嘉を弾劾するなどまさに「清流派の鑑」。太子時代から曹丕に仕える「四友」の一人。曹丕死後は司馬懿とともに曹叡を補佐、尚書令・鎮軍大将軍にまで昇進した。
成公英(?〜?) ※登録武将
武力79 知力83 政治62 魅力78  
 特技 「反計」「混乱」「騎兵」
 戦法 「突撃・参」「奇襲・四」「車懸・参」「烈火・弐」
 字は不詳。後漢末、涼州・雍州で反政府活動を指導し続けていた韓遂の腹心。韓遂が死ぬと、曹操に請われてその軍師となった。張既の別働隊として反乱軍鎮圧に貢献するなどしたが、心は旧主の韓遂にあったようだ。
霊帝(位167〜189)
 諱は宏。桓帝(劉志)に継嗣がなかったため、陳蕃らによって擁立された傍系皇族。霊帝本人は非常に暗愚な人物で、酒色に溺れて売官で収入を増やすなど、手のつけようがない。何皇后の子、劉弁よりも、王美人の子・劉協を継嗣としたかったようだ。ゲームでは君主が官位を上げると叙任を行ってくれるが、顔グラを見ると完全無欠な昏君であると改めて実感できる。
伊籍(?〜?)
武力28 知力73 政治85 魅力85  
 特技 「商才」「弁舌」「偵察」
 戦法 「撹乱・初」「激流・初」「烈火・弐」
 字は機伯。同郷の劉表に仕えた後、劉備配下に。呉に使いした折り、孫権からその機知を称揚されている。後に諸葛亮らとともに蜀の法典である「蜀科」の編纂にあたっている。演義では劉表幕下の劉備シンパとして、蔡瑁らの暗殺計画を劉備にリークするなどCIAかKGBのスパイ並みに活躍。ゲームで「偵察」を持つのも、この演義での活躍が評価されてのものであろう。
郭嘉(170〜207)
武力24 知力97 政治90 魅力82  
 特技 「知嚢」「発明」「反計」「混乱」「虚報」「偵察」「神算」
 戦法 「奇襲・四」「激流・参」「烈火・五」「落石・四」「攻城・弐」
 字は奉公。一時は袁紹に仕えたが、その器量を見限って下野。筍ケに見いだされ、曹操に出仕。主に外政に関して曹操の諮問に答え、的確な助言で覇業に貢献した。赤壁の前年に38歳で病死、曹操はいたくその死を惜しんだ。曹操幕下の謀臣たちの中では知名度・人気とも弐高いが、陳羣の項で述べたとおりかなり不行状な人物(ようするに漁色家)だったらしい。早死にの理由ってひょっとして・・・
 ゲームでは「神算」もちで、参軍に起用すれば「幻術」が使用可能。非常につかいでのある武将の一人である。
戯子才(?〜?)
武力19 知力87 政治71 魅力57  
 特技 「商才」「反計」「挑発」「混乱」「虚報」
 戦法 「烈火・四」「落石・参」
 諱は不詳。子才は字。筍ケの推挙を受け、曹操の軍師となるが早世、曹操を嘆かせた。郭嘉の前任者的存在か。
韓浩(?〜?)
武力59 知力68 政治87 魅力59  
 特技 「耕作」「発明」
 戦法 「乱撃・弐」「奇襲・弐」「落石・初」
 字は元嗣。董卓に抵抗して名を上げ、後に夏侯惇に従った。夏侯惇が人質になったときも敵方の人質交渉に応じないなど沈着な人物。曹操に屯田の必要性を説いた。護軍として曹操の近衛部隊を司ったというが、能力値はご覧の通り。もう少し武闘派寄りでも良いかも知れない。演義ではあの韓玄の弟、という設定。黄忠を兄の敵として勝負を挑んだが、返り討ちにされている。非常に哀れ。
麋芳(?〜?)
武力62 知力36 政治28 魅力34  
 特技  な し
 戦法 「斉射・初」「乱射・初」
 字は子方。蜀の大官・麋竺の弟。南軍太守として関羽指揮下の荊州を守っていたが、南郡城で失火事件を起こす。厳罰を公言して憚らない関羽を畏れて、呉の調略に応じて南郡を呉に献上した。能力も低けりゃ、義理も低い。おまけに非常に険のある顔グラで、「使えるものなら使ってみろ」と言わんばかりである。唯一人並みにある武力を「治安」で活かすしかない?
王朗(?〜228)
武力41 知力70 政治71 魅力48  
 特技 「弁舌」「挑発」
 戦法 「乱撃・弐」「落石・初」
 字は景興。博識で知られ、朝臣に。陶謙に推挙されて会稽太守になったが、孫策に敗れる。その後、曹操に出仕して魏の大官を歴任。文帝(曹丕)が即位すると司空に、明帝(曹叡)が即位すると司徒に昇進。もとの名は「厳」。息子はこれに対応してか王「粛」。華歆・鍾繇と並ぶ魏の名宰相だが、演義では諸葛亮に罵殺されている。そのためか、非常に寂しい能力値。華歆に比べるとやや見劣りする感はあるが、さすがにちょっと可哀想。
曹豹(?〜?)
武力69 知力36 政治28 魅力28  
 特技 「挑発」
 戦法 「乱撃・初」「奇襲・初」
 字は不詳。陶謙の武将。陶謙死後、軍団をまとめて劉備に臣従するが、徐州に呂布が入ってくると呂布に寝返った。ちなみに主人の陶謙同様、荒っぽい気風で有名な丹陽出身。演義では勇敢にも剛勇・張飛に挑むがあっさり返り討ちに遭う。そのあまりのやられっぷりの所為か、日本のマニアックな演義ファンから根強い支持を受け、カルト的な人気を誇っている。ゲームでは敵方にいてくれると嬉しいが、味方になってくれてもまったくありがたみのない存在である。
高幹(?〜?)
武力69 知力52 政治52 魅力64  
 特技 「築城」
 戦法 「乱撃・参」「斉射・弐」「落石・弐」
 字は元才。袁紹の甥で、并州刺史を拝命していたが、袁紹没後は一旦曹操に降伏する。曹操が烏丸征伐に向かおうとすると蜂起したが敗北。逃亡を試みるも捕縛され、斬刑にあった。
高覧(?〜?)
武力74 知力40 政治40 魅力56  
 特技 「騎兵」「偵察」
 戦法 「突撃・参」「撹乱・初」「乱射・初」
 字は不詳。袁紹の部将。官渡の戦いで張郃とともに曹洪を攻めるも、烏巣陥落の報を受けて投降。袁紹軍敗退を決定づけた。ゲームではそこそこ槍働きが期待できる野戦指揮官。
顔良(?〜200)
武力95 知力32 政治35 魅力50  
 特技 「威風」「挑発」「歩兵」「騎兵」
 戦法 「突撃・五」「乱撃・弐」「槍衾・参」「斉射・参」
 字は不詳。袁紹の部将。文醜と共に勇猛を謳われたが、白馬の戦い(官渡の戦いの前哨戦)で、単騎突入してきた関羽に一撃で討ち取られた。三國志を代表する斬られ役。演義でも正史でもほぼ同様の死に様なところが哀れ。ゲームでは抜群の戦闘力を誇る。
文醜(?〜200)
武力95 知力29 政治26 魅力49  
 特技 「威風」「挑発」「騎兵」「弩兵」
 戦法 「突撃・五」「乱撃・弐」「槍衾・参」
 字は不詳。袁紹の部将。顔良と共に勇猛を謳われた。演義では顔良の敵討ちを狙うも、関羽に一撃で討ち取られる。正史ではおそらく魏将の誰かに討ち取られたのだろうが、やはり斬られ役である。ゲームで鬱憤を晴らしてやろう。
麋竺(?〜?)
武力48 知力62 政治83 魅力81  
 特技 「弁舌」「商才」
 戦法 「火矢・参」「烈火・弐」
 字は子仲。徐州屈指の豪商で、劉備徐州時代からの腹心。妹は劉備夫人の麋氏、弟は麋芳。入蜀時に安漢将軍に任じられるなど、位階では諸葛亮を凌ぐ蜀の大幹部。意外にも武芸に優れていたとか。
筍ケ(163〜212)
武力13 知力95 政治95 魅力87  
 特技 「知嚢」「耕作」「商才」「発明」「弁舌」「混乱」「虚報」「偵察」
 戦法 「撹乱・四」「奇襲・弐」「火矢・弐」「烈火・四」「落石・五」
 字は文若。潁川名族の盟主にして「王佐の才」。一時は河北の袁紹に仕えるが、その器量を見限って曹操に出仕。的確な情勢分析・献策で曹操の信頼を勝ち得て、尚書令(令君)に抜擢された。史書に登場する「筍令君」とはこの筍ケのこと。同郷の有為の人材を曹操に推挙して三国最強の幕僚団を生み出したのが最大の功績かも。曹操が魏公に昇進するとこれに反発、不興を買ってまもなく憂死した。ゲームでは素晴らしい内政能力を誇る。
蒯越(?〜?)
武力28 知力83 政治85 魅力66  
 特技 「耕作」「弁舌」「混乱」「天文」
 戦法 「撹乱・参」「奇襲・弐」「烈火・参」「激流・参」
 字は異度。大将軍何進に招聘されるが、その器量を見限って地方に転出。後に荊州牧となった劉表に招かれてその幕僚に。劉表の荊州制圧に貢献している。劉表死後、曹操に降伏すると「荊州を得たことより嬉しい」と激賞され、光禄勲に任ぜられた。
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